春夏秋冬

気が向いた時に好きなもののお話を

しまなみロマンスポルノに寄せて

どうしても何か書きたかったので書かせてください。


9月9日、私は広島へ行っていました。
ポルノグラフィティの20周年突入ライブに参加するためです。
本当は本当のデビュー日である9月8日の公演に行きたかった。でも9月8日は一年前から会議の予定が入っていて、責任を放棄することも嫌で、じゃあ9月9日は絶対に行こうと思って、5月くらいのライブの発表の翌日には有給を申請していました。何があってもそこは休ませてほしい、と。

彼らの20周年、それは私のファン歴の歴史そのものです。

アポロで彼らの音楽に心を奪われ、そこから彼らの音楽を聴き始め、ヴォイスというシングルを親が誕生日プレゼント買ってくれました。それ以降、CDを発売日に買い始めました。ヴォイス以降、私の本棚に並んでいるCDは全て初回盤です。

初めてライブに行ったのは2003年でした。
6th LIVE CIRCUT "74ers"。
奇しくもポルノが3人でやった最後のツアーでした。
そこで衝撃を受けたのは、ポルノは何よりもライブの時が一番輝いているということでした。
歌も演奏も、CDやテレビで聞くのとは全然違う。
むしろ一番うまかった。
そして何より3人が本当に楽しそうで、この空間にいつまでもいたいと思うくらい幸せでした。
ライブの後にすぐにファンクラブに入ってそこからもう15年。沖縄でのライブと企業とタイアップしたライブ以外の単独ライブはほぼ、全部のツアー最低一回は参加してきました。
バイトするまではお年玉を全部ポルノのために貯金して、バイトの時はポルノのために働いて、社会人になってからは自由気ままに。

そしてずっと力をもらってきました。
彼らが最後に『お前ら最高だ、だから胸張ってけ!自信持ってけ!』って言ってくれる言葉に相応しい最高な自分でいよう!と思い、そして最高な空間を楽しみながら。
2人にありがとうを言うために。

そうやって見守ってきた今まで。
だから知っています。彼らがどれだけ故郷を愛しているのか、そしてファンを大事に思っているのか。

今回のライブは本当に特別でした。
2人の故郷の因島を含む尾道市への初めての凱旋。
ファンに2人の故郷を見せたいと思ってくれたんだと思います。
20周年突入の記念すべきライブ。
デビュー日の9月8日が土日に重なる奇跡。
そして特別な意味をもう一つ付け足したのが、西日本豪雨災害。
ライブの二ヶ月前に起きた災害。
開催するか悩みに悩んでの開催。そして収益金は全て広島県に寄付をするという決断。

そんな公演を中止しなきゃいけないということがどれだけ辛いのか。

私はちょうどそれを会場へ向かう道を同行者の友人と歩いていた時に知りました。
確かに雨はすごかった。
高速道路が一部封鎖されていて広島空港から広島駅へのリムジンバスは運休だったし、道路には所々大きな水たまりがありました。
できるのかできないのか半信半疑だったし、中止になってもおかしくないとも思っていました。
避難勧告らしきものが出ていたのも知っていました。

それでも実際に中止になって、周りを歩いていた人たちが一様に立ち尽くしたり、会場から戻ってくる姿を呆然と見つめていました。
正直に言うと、いやだ、せっかくここまできたのに。そう思いました。
そして次に2人の姿が脳裏に浮かびました。

2人がステージに立った時、そこを埋め尽くすファンに「よぉみんなきてくれたね!ありがとう!」って満面の笑みを浮かべてくれるだろうことも。
中止の放送を身を切る思いで話しているだろうことも。
全部眼に浮かぶのが本当に辛い。

何より残念なのは2人だってわかっているし、行政も協力してくださっていた以上、避難勧告が出て開催ができないのもわかるし、決行して万が一2万人が被災したら被災地域の支援ライブの意味もなくなるし、世間からもバッシングされる。わかっている。
でも理性ではわかっていても感情では2人に20周年おめでとうをどうしても伝えたかった。
2人に会いたかった。

その後とりあえず行くだけ行った会場で話した人とも、こんな結末は雨バンド(今までの野外ライブは面白いくらいことごとく雨が降る。おそらく70%くらいの確率)の彼ららしい、とか伝説になるねって話したけど、でも私はどうしても笑ってる2人に会いたかったし、笑って欲しかった。

そんな思いを抱えながら広島に戻り、同行した友人と前のライブDVDをカラオケで鑑賞して、部屋に戻ってからも夜中まで飲み明かした翌日、朝ごはんの時にふと、ある曲の歌詞が頭の中に蘇った。

雨にもちゃんとした素敵な理由がある
誰かの事を想う時にはこぼれる涙隠してくれる
晴れたらちょっとだけ青い色を借りて
痛む心に鳥を描こう いつかは風が吹き抜けてゆくでしょう
天気職人/ポルノグラフィティ

思い出してよかったと思った。救われた。
きっと今回の出来事も意味がある。
間違いなく、ファンと2人の絆は深まったし、きっとこれからの原動力にもなると思います。
これはきっと運命だったんだって2人も私たちもいつか思える日が来たら、本当にそれでいいのかもしれない。
そう思いました。こう言う時でさえ、彼らの音楽に救われるんだから本当にどうしようもない。
ちゃんと2人に返してあげないと。

ネットニュースでファンの人たちがチケット代は返金じゃなくて寄付したいって言ってるって書いてありました。
それは中止って聞いた時に私の頭にも本当にすっと自然に浮かんだ考えで、おんなじ気持ちの人がいっぱいいることが私はとっても嬉しかった。
美談にしたいだけとか、綺麗事って言う人もいるけど、でも私は本心だと思う。特に長いファンの人はきっとそう思う。だって知ってるから。彼らの気持ちを。
だから今回のグッズは早々にソールドアウトになったのだろうし、フードエリアの食事も軒並み売り切れていたのだと思う。支援になるのなら、と。
今日だって駅や空港のお土産コーナーにも、昨日の広島の夜の街にもファンがいっぱいいていろんな買い物をしたり食べたりしてた。そういうのが本当に嬉しかった。

まだ気持ちの整理はつかないし、これを打っている今も本当に泣きそうなんだけど、でも前向きに次回に向けたウォーミングアップを始めたいと思います。
今度は今回の悲しみとか無念さとか悔しさを全部塗り替えるライブにしてほしいし、2人の悲しみとか無念さとか悔しさを塗り替えてあげたい。
そしてみんなでアホになって泣いて、笑いたい。

最後に。
そうは言っても災害の爪痕はすごかった。
途中通った道はここまで水が来たんだってわかる場所もありました。
しかも広島から尾道への一部区間の電車はまだ運休のまま。
西日本災害、台風21号、北海道の震災。


できることは僅かかもしれない、でもできることをしよう!!
そう思った旅でした。


おしまい